地域に根差して117年。
前川建設、これまでの歩み。
地域に根差して117年。
前川建設
これまでの歩み
明治~戦前昭和初期
きっかけは橋づくり。
創業のきっかけは、姫路市にある農業用水の小川の石橋を架ける工事であったといわれています。それまで失敗続きだった工事に対し、創業者前川俵次が名乗り出て、アーチ式の橋を完成させ、住民から大変喜ばれたようです。
創業者 前川俵次
1907年(明治40年)創業。
前川組がいつから建設工事に携わったかは明確ではありませんが、残存する最も古い請負契約書から、1907年(明治40年)3月20日を創業の日としています。当時は、近畿圏各地の河川において、改修、築堤、浚渫を請け負うとともに、砂利採集事業を行っていました。和歌山県では、高野山に参詣、登山する信者のために、道路建設に携わったといわれています。その他、播磨地域の鉄道土木も多く手掛けたようです。昭和初期には、産業勃興にあって、当時、加古川町のシンボル的な存在となった近代建築の公会堂の施工を行い、建築での施工実績も増えていきました。
加古川町公会堂(現加古川市立図書館)完成写 設計:置塩 章
昭和 戦時中
揺れ動く時代の中で。
昭和初期の金融恐慌、さらに社会は戦時体制へと日本社会が流れて行き、昭和13年(1938年)に経済統制が実施されると、兵庫県下では建設業の分割統制がなされました。こうしたなか、兵庫県の中央部において、戦時中は、軍事関係施設や鉄道省関係による工事を多く手掛けていました。
二代目 柳滝次(前列左から一番目)
前川種造(後列右から二番目)
昭和 戦後混乱期
混乱を乗り越えて。戦後復興に貢献。
昭和20年(1945年)の終戦によって、日本は、多大な犠牲とともに、戦後の国土荒廃と混乱のなかからの復興を余儀なくされました。前川組も、戦時中の軍需補償の打ち切りや農地改革などから、非常に困難な経営環境下にありましたが、こうした混乱期にあっては、国鉄などの受注により企業体力をつけ、建設業としての経営基盤を再建していきました。その後、増資とともに、建設技術開発を行い、校舎建設をはじめ、工場、社宅など、鉄筋コンクリート造の建造物を多く手掛けていくことになります。
建設業協会における三代目 前川種造
昭和 高度経済成長期
総合建設業として組織を変革。
昭和33年(1958年)には、前川建設株式会社として組織変更し、代表取締役に故前川種造が就任、総合建設業の礎を築き、高度経済成長期には、公共、民間ともに、地元企業を中心に多くの顧客に恵まれ、鉄道、道路、高層集合住宅、体育館工事、下水処理、など、様々な工事を手がけていきました。その後、前川容洋現社長が入社し、さらに建築工事をはじめとして、受注高を拡大していきました。
前社屋と「前川組」時代の傘
創業100周年。新たな100年に向けて。
平成19年(2007年)3月20日、創業100周年を迎え、新たな100年に向けて、平成19年度より、経営理念、社是、社訓、経営方針、100の誓い、経営計画を策定しました。
高野山町石道を背景にした
前川容洋社長揮毫
前川建設株式会社117年 次代に向けて
終戦後、国土再建に貢献してきた我々建設業ですが、今日の日々変化する厳しい市場においては、改めて真の勤めを悟り、顧客満足度、社員満足度、協力会社満足度、社会貢献度を追求すること、そして日に新たに成長発展していくことが重要です。 こうしたなか、わが社前川建設株式会社は、創業117年を迎えました。創業以来、前川建設株式会社が地域とともに築いてきた建設業者としての信用と実績を礎に、次代に向けても、成長、発展していける会社づくりを実現していきたいと思います。「前川建設に頼んでよかった」、「前川建設に勤めてよかった」、「前川建設と働いてよかった」、地域の皆様からも「前川建設は良い会社」といっていただけるよう全社一丸、全員全力で取り組んで参ります。